座禅について

修道士は一生を修道院で過ごすマラソンランナーのようです。

禅僧は短距離走者で、僧堂で短い期間に集中的に修行をする。

実は、キリスト教では「修行」という言葉は使わず、

「修道」と言います。

 
「修行」と「修道」は微妙に違います。


簡単に言いますと、人と仏、人と神の関係がそれぞれ違う。

禅の基本的な考え方は、生きとし生けるものはすべて仏で、

座禅などの「行」で本来の自分に目覚めるという主張です。

人と仏は、水と氷のような関係。

氷が解けて水になるように、人は目覚めて仏になれます。

ところが、キリスト教の場合は、

人と神の関係は水と油。

全く違うものです。

理想的なのは、1個の人格の中で水と油が

調和をもって1つになることですが、

人は決して神になれない。

創造主と被創造物という質的な違いがある。

禅では人が仏に目覚めようとする修行は奨励されますが、

キリスト教では、人が神になるのは傲慢な発想です。

「修道」とは、キリストを信じ、

その教えを守っていくのが本来のあり方だとすることです。

天龍寺国際禅堂師家 安永祖堂
リレー講座「現代社会と宗教」(立命館大学主催・読売新聞大阪本社後援)

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