阪神大震災から11年(百番目のサル)

阪神大震災から11年の時が過ぎました。
本当に多くの人が被災地に駆けつけました。
全国に防災ボランティアの輪が瞬く間に広がり
一人ひとりが何かできることをしようと様々な活動をしました。
あのとき初めて日本にボランティアの意識が生まれたといっても過言ではありません。
そんなボランティアの間で語り継がれていたのがこの話でした。

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ニホンザル、マカカ・フスカタは、
30年以上もの長期にわたって、
野生の状態で観察されてきました。

1952年、宮崎県の日南海岸公園内にある幸島で、
科学者たちは、餌付けのために、
サツマイモを砂浜に投げ与えていました。

サルたちは、このサツマイモの味が、
とても気に入ったようでした。
しかし、そのサツマイモにくっついた砂っ気は、
あまり、気に入らないようでした。


ある日のこと「いも」という名の生後18ヵ月の雌ザルが、
砂のついたサツマイモを近くの浅瀬で洗うことによって、
その問題は解決する、ということを発見しました。
彼女はその「トリック」を、まず母親に教えました。

また、彼女の遊び友だちも、すぐにこの新しい方法をおぼえ、
遊び友だちの母親たちもまた、子供たちからそれを学びました。
日本の科学者たちは、このサルの文化的な発明が、
さまざまなサルたちによって真似られ、
徐々に取り入れられていく様子を、
目の前で観察することができました。

1952年から1958年にかけて、若いサル全員が、
この砂のついたサツマイモを洗うことによって
もっと食べやすくするという方法を、身につけました。
大人の間では、自分の子供から学ぷことができた大人だけが、
この社会的な革新ともいえる新文化を習得しました。
しかし、子供たちを真似ようとしなかった大人のサルたちは、
依然として、砂のついたままの汚れたサツマイモを食べつづけていました。

ところが、驚くべきことが起こったのです。
1958年の秋には、正確な数は報告されていませんが、
幸島のサル達の中に食前にまず洗うという習慣を身につけたサルが
相当数いることが、科学者たちによって確認されていました。

さて、ある朝、太陽が昇った時に、幸鳥の99匹目のサルが、
サツマイモを洗うということを知ったとします。

そしてその日の昼近くになって、「百番目」にあたるサルが、
サツマイモを洗うことを学んだ時まさに、その瞬聞に・・・
突然、それは起こったのです。

その日のタ方までに、その群れの中の、
ほとんど全部のサルたちが、
サツマイモを浅瀬に持っていって、洗いはじめたのです。

この百番目のサルが新しく加わることによって生じたエネルギーが、
どうゆう理由か、私たちの概念—いうならば常識’を、突き破ってしまったのです。
そして、問題は、それだけで終ったわけで’はなかったのです。

日本の科学者たちによって観察されたもっとも驚くべき’現象’というのは、
そのサツマイモを洗うという習慣が、その後、
自然発生的に’海を越えた’という事実です。
他の島のサルの群れたち、
さらには大分県の高崎山に棲むサルの群れも
彼らのサツマイモを洗いはじめたのです。

ニホンザル、マカカ・フスカタに起こったこのような事実は、
ある特定の臨界点を満たすだけの人びとが、ある自覚に到達すると、
その新しい自覚は、ひとつの心から、もうひとつの心へと伝わるのだ、
ということを裏付けるものだといえます。

ニューエイジ「大曼陀羅」北山耕平編

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