イスラム教徒は、一神教の観点から日本人を見る。向こうの人が日本に来ると「東京には仏教の寺院はどこにあるんですか」と聞かれる。
イスラム社会では社会の隅々までモスク、毎日の礼拝をする場所がある。毎週金曜日に集まって礼拝する施設がある。だから「仏教ではどうなっているのか、東京にはほとんどお寺がないじゃないか」となる。
さらにわからないのは神社と寺院の関係。日本人は生まれると神社にお参りし、結婚式も神社であげるが、葬式はお寺でするらしい。「それで平気なのか」と。
神道と仏教が共存できるのがイスラム教徒にとっては不思議なんですね。そこで、例えば礼拝前の浄めの仕方を紹介してやります。イスラム教徒は礼拝する前に口と手をゆすぐ。日本も神社や寺を参拝する前は手や口を洗うというと、納得します。
さらに、仏教はこうで、神道はこういうものだからどっちかにしなさい、ということではなくて「神仏教」というとちょっとわかりにくいかもしれませんが、仏教と神道とをあえて分け隔てようとする考え方がない。一神教はどうしても排除の原理がつきまとうが、そうじゃなくて「もっと懐が深いんだよ」と説明します。
ただし、彼らに説明する時に「多様性」と「多神教」という言葉を一緒にしない方がいいでしょう。多神教というと、特に原理主義的なイスラム教徒にとっては「戦うべき相手」ということになります。日本人の信仰を日本人自身が案外わかっていないんじゃないかとも思います。
森本公誠 東大寺別当
リレー講座「現代社会と宗教」(立命館大学主催・読売新聞大阪本社後援)