天台には、十界という考え方があるが、この十界というのは、地獄、餓鬼、畜
生、阿修羅、人間、天、声聞(しょうもん)、縁覚(えんかく)、菩薩、仏の
十の世界であるが、このうち六の世界、天までは、欲望の世界である。この世
界を六道というが、六道輪廻(りんね)といって、この六道の世界、欲望の世
界は、結局、苦楽の間を変転しているのにすぎない。天台の立場は、このよう
な六道をこえて四界を説く。声聞、縁覚、菩薩、仏の四つの世界である。その
うち声聞、縁覚は知の世界、菩薩は愛の世界である。つまり、知と愛の世界に
よって、人間は欲望の立場をこえるわけである。そしてこの知と愛の世界の上
に、無の世界というべき仏の世界がある。私はやはり、欲望を超えた精神の理
想が必要であると思う。その理想を説くには、むしろ仏教のように、欲望のお
もむくところを知らしめるということが有効であり、特に天台の知恵は、われ
われに多くの思想を暗示する。
(梅原猛 「哲学の復興」より)