清水寺貫主 森清範師

4、5世紀ごろ仏教の瑜伽行(ゆがぎょう)派が

心について深い思索を始め

唯心論的な唯識思想が形成されました

ここから出てきた考え方で

心を「蔵」に例える

「蔵識(ぞうしき)」というものがあります


『蔵』には

人が行ったこと、話したこと、思ったこと

のすべてが納められるとして

私たちは自分の『蔵』を作っていく と教えるものです

「蔵」に新たに加わるものを「新薫(しんくん)」

既に入っているものを「本有(ほんぬ)」と呼びます

「観音」とは客観的世界であるところの「音」を

己の「蔵」の中の主観を通して「観(み)」ることを言います

『蔵』に入れるべき善をどう見分けるかは

自分や周囲の人々のためになることが基準となるそうです

『蔵』に何を入れるかでその人の人生観、世界観が決まる

清水寺貫主 森清範師はこう語っています

9・11テロや、その後のアフガン

イラクの戦闘で多くの犠牲者が出ましたが

利害、主張、宗教の違いが敵を作り

互いに神や正義を立てて排除し合っている

と異なる世界観が衝突する現状を憂えています

地球上で共に生きるもの同士

本来、善悪で相手を裁くことはできない

仏教の命の哲学に立ち返って考えるべきだ

と語りかけます

 

命の尊さを自覚して互いを大切にすれば

『観』(主観)と『音』(客観)が一体になって

愛情がこんこんとわいてくる

観音信仰には時と場所を超えた

人間の普遍的課題が秘められているということでしょう

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