「夏の暑さと冬の寒さ、さてあなたはどっちがお好きですか?」といった強引な質問をされたことはありませんか。
一時、流行った「究極の選択」とまではいかないにしろ「どっちを取ろうが大きなお世話です!」って言いたいほどアホらしい質問です。夏の暑さがなければ、冬の寒さは身に凍みませんし、光と影のように表裏一体の現象にとやかく言っても始まりません。
どっちだろうと「今日は暑いですね」といった日常の挨拶の延長線上にあることに変わりはなく、「辛いですね」「大変ですね」と言いたいばっかりの言語表現ですから…
それにしても、まだ日本はありがたい方で、年中暑く湿度の高い国は、夏の気温の中でしか季節に対する判断材料を持たないわけで、所詮わずかな温度差でしか気候の実感を味わえません。
そう考えてみると、四季のうつろいを愛でるというのは日本人に与えられた、いわば特権のような気がしています。また春や秋の刹那な季節ほど、日本人の感性に訴えるものはありません。昔から詩歌に幾度も詠まれ親しまれてきたのは、そんな無常観に心惹かれたからに違いありません。
偲墓は行く末の煩わしさを無くし、かつ伝統的な供養もしてもらえる新しいスタイルのお墓です。生活環境や居住地域が変わっても無理なく供養し続けられるよう、お寺や宗派の枠に捉われない仕組みを実現しました。これまでの伝統を引き継ぎつつも、これからの供養のあり方をカタチにしたお墓です。
