昨日の試合を観て
一言 思い出したことを書いておきたい
それは松下幸之助翁の言葉
「止(とど)めを刺す 」である
昔は、いわゆる止めを刺すのに、
一つのきびしい心得と作法があったらしい。
だから、武士たちは、
もう一息というところをいいかげんにし、
心をゆるめ、止めを刺すのを怠って、
その作法にのっとらないことを たいへんな恥とした。
ものごとをしっかりと確かめ、
最後の最後まで見極めて、
キチンと徹底した処理をすること、
それが昔の武士たちの
いちばん大事な心がけ とされたのである。
その心がけは、小さい頃から、日常茶飯時、
箸の上げ下げ、あいさつ一つに至るまで、
きびしく躾けられ、養われていたのであった。
こんな心がけから、
今日のお互いの働きをふりかえってみたら、
止めを刺さないあいまいな仕事のしぶりの何と多いことか。
せっかくの九九パーセントの貴重な成果も、
残りの一パーセントの止めがしっかつと刺されていなかったら、
それは始めから無きに等しい。
もうちょっと念を入れておいたら、
もう少しの心配りがあったなら……
あとから後悔することばかりである。
おたがいに、昔の武士が深く恥じたように、
止めを刺さない仕事ぶりを、
大いに恥とするきびしい心がけを持ちたいものである。
松下幸之助
「道をひらく」より
1968年5月-日発行
自分に甘い考えを持つと
結果 身を滅ぼしかねません
自分に甘い考え方というのは
「自分の能力を超えてしまった考え方」ということです
そうならないためには・・・
身の丈を知る
主観的ではない客観的な観点が必要です
他人と比較する眼が必要になってくるんです
「客観的に見る」とは 他人との正当な比較が大事なこととなってきます
つまり認識力の高さが必要になってきます
他人と比べてどうなのか
他人と比べて勝っているか
どの程度勝っているのか
勝っているとしても平均に達しているか
世界的に見てどうなのか
それでも良いもの 最高のものであると
胸を張って言えるのか
この地域で一番を誇っているのが関の山ということであれば
そこのところでやめておかなくてはいけない
ある意味「撤退の勇気」が要るんです
これが「自分の能力を超えない」正しいやり方です
「イケイケの原理」もある程度以上の規模ともなると
「無責任の論理」になりかねない
だから客観性が必要なのです
「甘い判断」というのはこれができないのです
これが出来ずについつい
「能力の限界を超えてしまう」のです
ついつい自分に甘い考えを呼び込むのです
主観的判断はキッパリと捨てることです
「正当な発展」というのは
客観的判断が出来ることによってなされるわけです
自分の能力に応じた「身の丈の」やり方は
正当な発展となっていくのですが
自分の能力を超える場合には
「我欲」となっていきます
この境界を知ることです
能力の限界を超えたときに
「善きもの」であったものが「悪」に変化をするのです
私利私欲と変わらない「我欲」となって悪に変化してしまうのです
恐ろしいことに・・・
知らず知らずのうちに
「悪」に変化をしていくことになるのです
(スターウォーズ エピソード3をご覧下さい♪)
このように個人においても
組織を率いるものにおいても
常に「主観」と「客観」の両方の眼を持って見ていく必要があります
サッカーを勝ち抜く戦略にも同じことが言えます
形勢の読みを誤るとたちまち敗退をしてしまいます
今がよくても環境は変わっていくのです
「無常」なんです
「兎と亀」のウサギは
客観性を持っていながら
「自分の能力」を過信して油断してしまった典型的な例
と言えないでしょうか