理屈じゃない だだひたすら坐禅をするのだ

曹洞宗本山 永平寺   修行僧の朝は早い


4時半            振鈴を合図に起床

                「洗面」とは耳の穴から頭まで朝の冷水で清めること

5時              時を告げる「更点」(こうてん)が鐘で連打される

5時~5時40分      暁天坐禅(ぎょうてんざぜん・・・朝の坐禅) 

                「大衆(修行僧)は面座(壁に向かい)し坐禅す」

                坐禅のとき目は瞑らず半眼で1M先を見る

                そもそも何のために坐禅をするのか?

                悟りを得るためにでもなく只ただ坐禅をする

                それを只管打座(しかんたざ・・・ ひたすら坐禅をする)という

                妄想を描くと不思議に前に傾く・・・即 右肩に「警策」を打たれる

5時40分~5時50分  朝課諷経(ちょうかふぎん…朝のおつとめ)

                「観音経」「般若心経」
              
                読経をする修行僧の白い息が 暗い本堂の中で整然と並んで見える

                (by NHKアーカイブス)

続く・・・

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