身の丈を知る②

自分に甘い考えを持つと

結果 身を滅ぼしかねないと言いました

自分に甘い考え方というのは

「自分の能力を超えてしまった考え方」ということです

そうならないためには・・・


主観的ではない客観的な観点が必要です

他人と比較する眼が必要になってくる

「客観的に見る」とは他人との正当な比較が大事なこととなってきます

つまり認識力の高さが必要になってきます

他人と比べてどうなのか

他人と比べて勝っているか

どの程度勝っているのか

勝っているとしても平均に達しているか

全国的に見てどうなのか

それでも良きもの最高のものであると

胸を張って言えるのか

地域で一番を誇っているのが関の山

ということであれば

そのところでやめておかなくてはいけない

ある意味「撤退の勇気」が要ります

これが「自分の能力を超えない」正しいやり方です

「イケイケの原理」もある程度以上の規模ともなると

「無責任の論理」になる

だから客観性が必要なのです

甘い判断というのはこれができないのです

これが出来ずについつい

「能力の限界を超えてしまう」のです

ついつい自分に甘い考えを呼び込むのです

主観的判断はキッパリと捨てることです

「正当な発展」というのは

客観的判断が出来ることによってなされるわけです

自分の能力に応じた「身の丈の」やり方は

正当な発展となっていくのですが

自分の能力を超える場合には

「我欲」となっていきます

この境界を知ることです

能力の限界を超えたときに

「善きもの」であったものが「悪」に変化をするのです

私利私欲と変わらない「我欲」となって悪に変化してしまうのです

恐ろしいことに・・・

知らず知らずのうちに「悪」に変化をしていくことになるのです

このように個人においても

組織を率いるものにおいても

常に「主観」と「客観」の両方の眼を持ってみていく必要があります

成長の時代では許されたことでも

デフレの時代には「パラダイムの転換」を必要とします

特に「客観」の方に力点を置いてやっていくべきなのです

兵法にも同じことが言えます

形勢の読みを誤るとたちまち敗退をしてしまいます

今がよくても環境は変わっていくのです

「無常」なんです

「兎と亀」のウサギは

客観性を持っていながら

「自分の能力」を過信して油断してしまった典型的な例

と言えないでしょうか

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