いよいよ「令和」へ!!

平成から令和へ

 

平成も残すところあとわずか。

4月1日には新元号「令和」が発表され、新しい時代が来るのだというワクワクするような気持ちと、慣れ親しんだ「平成」が終わるという少しの寂しさを、皆さまもお感じになられているのではないでしょうか?

普段から私たちの身近にありながら、身近過ぎて特別に考えることがなかった元号ですが、「令和」と決まるまでには、いろいろな方がいろいろな予想をしたり、いろいろな場面で話題に上ることも多かったのでは?と思います。

そこで、この機会に改めて元号について書かせていただきます。

元号とは

日本を含むアジア東部における紀年法の一つで、特定の年代につけられる称号のことを言います。

基本的には年単位ですが、慶応4年(1868)、明治に改元する際、天皇1代につき1つの元号とする「一世一元の詔」が定められるまでは、吉事や災害、争乱などによる改元も度々行われており、1年未満での改元が行われた年もありました。

また、南北朝時代は南朝・北朝それぞれに元号を定めていたため、2つの元号が並存している時期が60年ほど続いています。

日本初の元号

日本史の授業に必ず出てくるので、皆様よくご存じだと思いますが、日本で初めての元号は「大化」です。

皇極天皇4年の645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅亡させた、乙巳の変(いっしのへん)から始まった国政改革の流れを「大化の改新」と呼んでいます。

しかし、このころはまだ干支で年を言うことが主流だったため、元号は制定されてはいるものの、使用されている様子は出土した木簡などにも残されていないそうです。

大化(645~650)の次に、白雉(はくち・650~654)という元号になりましたが、その後は朱鳥(しゅちょう・686)までは断続的に制定され、大宝(701~704)より継続的に元号が制定、使用されるようになり、現在に至っています。

ちなみに、一番長く使われた元号と、最短で改元されてしまった元号、何かわかりますか?

最長なのは、「昭和」で62年と14日。

最短なのは、2ヶ月14日しか使われなかった「暦仁(りゃくにん)」です。

「昭和」は平成の前の元号なのでよくご存じだと思いますが、「暦仁」ってほとんど耳にしない元号ですよね・・・

鎌倉時代、四条天皇の御代の元号だったようです。

新元号

さて、1日に発表された新元号「令和」。

248番目となる元号の出典は『万葉集』。

大伴旅人(おおとものたびと)邸で行われた「梅花の宴」で詠まれた、「梅花の歌三十二首併せて序」の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は後の香を薫す」より考案された、初めて日本の古典を元とする元号です。

万葉集

万葉集は奈良時代に作られた日本最古の和歌集で、全20巻130年にわたり、天皇や貴族のほか、様々な土地の様々な身分の人が詠んだ4,500首以上の和歌が集められています。

平安時代に編まれた古今和歌集とは違い、全て漢文(万葉仮名含む)で書かれているのが特徴です。

和歌の原点として、後世の和歌や文学に影響を与えているだけでなく、方言の史料としても貴重なものとされています。

大伴旅人

飛鳥時代から奈良時代の公卿・歌人で、息子には三十六歌仙の一人で、百人一首にも選ばれている大伴家持がいます。

7世紀後半から現在の福岡県に置かれた、大宰府という九州地域の外交・防衛機関の責任者をしていた人物です。

当時の宮廷の最上位の公卿でもありました。

 

いろいろな事件・災害も起こった「平成」の30年でしたが、幸いにも戦争は経験せず終わろうとしています。

「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる。」と、安倍総理がこの元号に込められた意味を述べられたそうです。

「令和」がどのような時代となるかはわかりませんが、平和で穏やかな時間が流れる毎日であってほしいですね。

 

 

 

 

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