床の間は、仏画を掛ける壁とその前に置いた台(三具足を飾る台)が、造り付けになったものです。書院は、書見のための場所、違い棚は本棚の変形したものであります。
いずれも僧侶の信仰生活の日常の必要から生まれたものですが、後世にこの三者が一体になって書院造りの様式に発展し大成してからはその意匠的な評価が高まりました。
それが、次第に地位と権力の象徴として取り上げられる傾向が顕著になり、床の問は規模も形式も豪華なものに変わっていきました。(『真』の形式、これは書、花、画、武道等全てに共通する日本の形式美学のひとつです。)
また、茶室に取り入れられた床の間は、書院のそれとは別に自由な表現形式を取り、いわゆる『行』『草』の形式を生み、当時の庶民階級に浸透して一般住宅にも使用されるようになりました。
明治、大正時代に、和室には床の間、書院などを整えるのが常識化しました。その惰性的、無批判な取り入れ方に対する警告として受け止められますが、床の間が私たち日本人の教養と精神生活に豊かさを与えてくれた功績は確かなようです。
床の間は形式的に見ても世界に誇る日本独白の室内構成の傑作です。それを囲む壁、下がり壁、落とし掛け、床柱、床などの寸法、位置、材質、仕上げの絶妙なバランスによって和室に抑揚とリズムを作り出すものです。
古来から伝わる多くの床の間は、歴史的経緯を含めて実に趣があってすばらしいものです。しかし、私たちは古来の形式にとらわれるばかりでなく、その室内条件に応じ自由な造形感覚によって構成するのがこれからの正しい方法でもあります。それがいきいきした床の間をつくる秘訣でもあります。床の間は完成された形式美なのです。
床の間、書院、違い棚いずれも同様で時代に即した新形式が現われてこそ『床の間の生命』なのではないでしょうか。
一方、仏間は仏檀のある部屋。わが国の一般家庭で仏檀を設けて仏像をまつり経文を置くようになったのは、天武天皇の十三年(六八五年)に勅名によって奨励されてからと伝えられます。
仏間は、部屋数の多い家では床の間の部屋に隣接して設けますが、一般住宅には仏檀は和室に収納庫のような形の中に設けるか、部屋にじかに置く形で設けます。
仏檀の方位は、西北に据えて東南に向けるのが最上で、家業繁栄の『大吉相』であると言えるでしょう。次に、西に据えて東に向けるのが家族和して発展の気を得て『吉』とされ、北に据えて南に向けるのも富貴弐なる『吉相』と言われています。
また、仏檀の上に二階廊下とか部屋を設けることは、踏みつける意味になって『凶』ですから、気付けましょう。
考えて見れば、仏檀は先祖の魂をまつる場所とすれば、一番気持ちのいい場所にいい形に据えることが最高の設置であることは間違いありません。もちろん毎日、線香を献じて礼拝供養することが一番大切なことです。
このように、床の問と仏問は日本の住宅の中に完全に溶け込んで私たちの生活の一部分になっているようです。そして、住宅の和室にはなくてはならない構成要素でもあります。
床の間においてはデザインを視点に、仏間はその位置と方向を中心に書きましたが、この床の間と仏間においては、数多くの視点から見ることができます。本当に奥のあるテーマだと思います、みなさんも日頃から見たり考えたりされてはいかがでしょうか。和室にいることが十倍楽しくなります。
(建築家 芳賀信次)