女帝と宗教

      2019/03/01

少し趣向を変えて立命館大学 文学部教授 本郷真紹氏による講義「女帝と宗教」のまとめをしておくことにしました。
今日はその一回目です。

(1)律令制成立以前の「王権」の特質

邪馬台国の女王・卑弥呼

「すなわちとも似一女子を立てて王と為し、名づけて卑弥呼と日ふ。鬼道に事へて能く衆を惑はす。年已に長大なるも夫婿なく、男弟有りて国を佐け治。王と為りてより以来、見ること有る者少なし。婢千人を以て自ら侍らしむ。唯男子一人有りて飲食を給し、辞を伝へて居処に出入りす。宮室・楼観・城柵厳かに設け、常に人有りて兵を持して守衛す。」(「三国志」魏書東夷伝倭人条)


大王の意義

「物部大連尾輿・中臣連鎌子、同じく奏して日く、わが国家の天下に王たるは、恒に天地社稷の百八十神を以て、春夏秋冬祭拝するを事と為す。方に今改めて蕃神を拝まば、恐らくは国神の怒りを致さん、と。」(「日本書紀」欽明十三年十月条)

 

(2)推古大王(天皇)

欽明天皇・堅塩媛(蘇我稲目の娘)の娘、同母兄・用明天皇

異母兄・敏達天皇の大后(皇后)となり、莵道貝鮹皇女、竹田皇子、小墾田皇女らを産む。

崇峻五年(592) 12月、豊浦宮にて即位
推古元年(593) 正月、仏舎利を法興寺の刹柱の礎の中に置く、
同          四月、厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子とし、摂政せしむ。
同  二年(594) 二月、皇太子と大臣・蘇我馬子に命じ、三宝を興隆せしむ。
同十三年(605) 四月、皇太子・大臣・諸王諸臣らと誓願して、銅と繍の丈六仏各
一躯を造り、鞍作鳥に命じて造仏工とす。
同十四年(606) 七月、皇太子に請ひて、勝鬘経・法華経を講ぜしむ。

「大倭国の仏法は、斯帰嶋宮治天下天国案春岐広庭天皇の御世より創まる目蘇我大臣稲目宿禰仕へ奉る時、治天下七年歳次戊午十二月に度り来る。百済国聖明王の時に、太子像并に仏器一具及び仏の起こりを説く書巻一崖を度して言ふ・・時に天皇、即ち大臣に告ぐ何処に置て礼ふべきや、と。大臣曰く、大々王の後宮分して奉れる家に定めて坐すべき、と。時に天王(皇)、大王を召して告ぐ、汝の牟久原の後宮は、我他国の神宮と為さんと欲す、と。」(「元興寺縁起」)

 

(3)皇極(斉明)天皇

敏達天皇の曾孫、押坂彦人大兄皇子の孫、茅淳王の娘、母は吉備姫王。同母弟・孝徳天皇。
当初高向王、のち舒明天皇の妻となり、葛城皇子(中大兄皇子)、間人皇后、大海人皇子を産む。

皇極元年(642)正月、即位。

同         七月、旱により、村々の祝部が牛馬を殺して諸杜の神を祭る。
蘇我蝦夷、大乗経典の転読、悔過を命ず。大寺の南庭で大
雲経を読む。蝦夷も手に香炉をも十って誓願するが、小雨の
みで、読経を中止する。

同         八月、天皇、南淵の河上に出て四方拝を行う。
大雨が降り天下を潤す。天下の百一・1二姓、天皇の徳を讃
える。斉明天皇の川原宮→川原寺(弘福寺)

 

(4)持統天皇

天智天皇の娘、母は蘇我越智娘。
叔父・大海人皇子(天武天皇)の妃となり、草壁皇子を産む。
薬師寺は、その病に際して夫・天武天皇が発願した官寺。

持統三年(689)正月、陸奥国蝦夷沙門道信に仏像・灌頂幡等を授ける。
同 七月、陸奥蝦夷沙門自得に薬師仏像・観世音菩薩像等を授ける。
同四年(690) 五月、内裏で安居講説を行う。
同五年(691) 二月、仏法の信奉を命じる。
同六年(692)閏五月、大隅・阿多に僧を送り、仏教を伝えしむ。
同八年(694) 五月、金光明経を諸国に配布し、正月上玄に読経会を開かしむ。
同十年(696)十二月、年分度者の制を規定する。

 

(5)孝謙天皇(称徳天皇)

聖武天皇の娘、母は藤原光明子。

天平元年(729)       光明立后に伴い、東宮に封一千戸を賜る。


同  十年(738)       五月、立太子。
熱心な仏教信仰者であった母の影響を受け、仏教に造詣カ探くなる。
法華経の教説と密接な関係
同  六年(734)       十一月、年分度の規定を設け、最勝王経または法華経の暗誦を条件
とする。
同  九年            この頃の法隆寺東院復興と聖徳太子信仰の隆盛
同十三年(741)        二月、国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と共に、
国分尼寺(法華滅罪之寺)を設置。
同十九年(747)        二月、『元興寺伽藍縁起』撰上。
天平勝宝元年(749)     七月、父の謝立を受けて即位。
同                 この歳、吉祥天悔過始修。
同四年(752)四月       大仏開眼供養
同五年(753)十二月     鑑真来朝。この後、父先帝と共に鑑真より受戒する。
天平宝字二年(758)八月  淳仁天皇に謝立、この後正式に出家して尼となる。
同八年(764)九月       恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱、淳仁天皇を廃し、重祚する。
尼の身分のまま重祚し、師の道鏡を大臣禅師(→太政大臣禅師→                  法王)と重用する。
父に対抗し、西大寺・西隆寺の建立を発願。
宮廷内に様々な仏教儀礼が導入される。

 

(6)女帝と宗教

王族の女性:宗教的な感受性を持ち合わせ、王たる所以である宗教的能力(=神との対話、シャマニズムの系譜を引く)に秀でた存在。

仏教伝来と宮廷女性の立場大王(天皇)が、在来の神祇との関係故に、公式に異国の宗教との直接接触が憚られる状況に於いて、王族内部の仏教信仰(治病、延命祈願、追善等)の役割を担ったのは、王族の女性や宮人といった後宮関係者であった可能性が高い。


cf.聖徳太子の妃・橘大郎女が製作を命じた『天寿国繍帳』
その伝統が、女帝として即位した際の仏教に対する姿勢や、具体的な仏教興隆政策の推進といった形で反映される。

律令国家の成立と宗教に対する姿勢
神祇=第一国教、仏教=第二国教としての位置付け
後宮の女性に、仏教信仰の担い手としての役割が受け継がれたとすれば…
県犬養三千代臓原不比等の夫人、内命婦として後宮で権力を発揮する)の仏教信仰娘の光明皇后、さらに孫の阿倍内親王(孝謙天皇)へと受け継がれた可能性。

後宮女性の仏教信仰を正当化する論理
『法華経』の教説と法華信仰←太子信仰昂揚の必然性
ex.女音菩薩品:後宮の女性を菩薩の化身と位置付ける。

聖武天皇の仏国土健華蔵世界)建設の理念→娘・孝謙女帝へと受け継がれ、更に発展した形で、様々な仏教興隆策が打ち出される。

 

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