固定観念や先入観念、常識に支配されていては、独創的な力を創っていくことはできません。固定観念、先入観念や常識を、破壊していく必要があります。固定観念や先入観念や常識を自覚的に破壊していく方法、それらから自分を解放していく方法は、原理的に一つしかありません。それは「常識で考える」のではなく、「常識を考える」ようにすることです。
だれもが常識にとらわれないで考えようとします。しかし、結局はほとんど常識で考えています。常識の枠組み、固定観念や先入観念の枠組みから脱却することは、なかなかできません。常識は文化です。人間のほとんどは文化に飼い馴らされた家畜なのです。その文化の枠組みを破って外に出る為には、常識を考える以外に方法はないの「常識で考える」のではなく「常識を考える」のです。
「これはこうである」と言われたら、それが疑わしくなくとも、一応そうだと思えても、とにかく必ず、「果たしてそうだろうか」「本当にこれでいいのだろうか」と疑ってみる。常識を考えるには、これが絶対必要です。天の邪鬼になって、何でも問うてみる訓練が必要だということです。そうでないと、常識から技け出すことはできません。
時代が変わると言います。変わっていく常識に合わせていたら、独創的な力はできてきません。後追いしているだけになってしまいます。自分から自覚的に固定観念、先入観念を破壊していかなけれぱ、時代に先駆けて独創的なものを打ち出していくことはできません。そのために「常識を考える」訓練が大事なのです。
(21世紀日本の使命/芳村思風著より抜粋)
偲墓は行く末の煩わしさを無くし、かつ伝統的な供養もしてもらえる新しいスタイルのお墓です。生活環境や居住地域が変わっても無理なく供養し続けられるよう、お寺や宗派の枠に捉われない仕組みを実現しました。これまでの伝統を引き継ぎつつも、これからの供養のあり方をカタチにしたお墓です。
