人間は不完全です。失敗もしますし、迷いもします。一つも短所のない完全無欠のロックンローラー(古ッ!)の人間はいません。人間は、ダメなところがあるから謙虚になれるわけで、長所ばかりだと謙虚になる理由が無くなります。
【謙虚】を辞書で調べると、控えめで慎ましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。とあります。自分に無いものを学ぼう、教えてもらおうとする気持ちがあればこそ「謙虚」になります。
私たちの持つ「念珠」は、そんな人間のダメな部分である「煩悩」を形にしてみせたものです。人はそれを持つことにより、自分の弱さ、欠点を再確認して「謙虚」になり、「感謝」の気持ちを持つようになるんだと思います。
ところで、あなたは「私には俄がある」「欠点がある」「偏見がある」という自覚があるでしょうか。
逆に、私には偏見がない。または、偏見を無くそうという考え方が、陰湿ないじめを生み、醜い対立をつくるんです。人間は欠点があって当たり前、違う部分があって当たり前といった大らかな心が人をやさしくするんだと思います。
人と付き合うとき「半分はいやな部分が出てくる」のは当たり前。そういう覚悟で人は付き合っている。いやな部分を包み込む、理屈を越える感情が愛でしょう。愛が無ければ当然長く付き合うことは出来ません・・・。